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 プロフィール

 貝の刺身NEW
 殻つき牡蠣のオーブン焼き
 
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 冷麺・焼肉
 
 赤貝、牡蠣
 マンゴーシャーベット



【プロフィール】

 今年喜寿を迎えました。

 エレクトロニクスのメーカーでデジタル通信技術の開発を長く担当しました。

 開発した技術を世界各国に輸出する仕事を任されて、多くの国へ出かけました。

 これ等の国では、食中毒の原因の菌が日本のものとタイプが異なり、我々が免疫抗体を持たないため、よく酷い食中毒になりました。仕事の日程の都合で、体調が非常に悪くとも、仕事を続け、病院へ行く暇もなく、酷い食中毒の下痢症と格闘しました。

 自称食中毒の達人、私は食中毒で G;ゲー P:ピー S:シャー と子供の時から苦しみぬきました。今でも、少し油断すると G. P. S.をしばしば発症し、苦労しています。

 私の苦しんだ経験が、お腹が弱く、食中毒に苦しめられている 人たちの参考になればと思い、恥ずかしい思い出ですが、病状と対応を出来るだけリアルに記しました。

 すべて、誇張も脚色もない私の実体験です。

 食中毒に苦しめられた体験は、尾篭で汚い話を避けることが出来ないので、公表されることが少ないのですが、人に聞けない、人に言えない体験を共有できることは、お腹が弱い人たちに 役に立つと思い、恥を忍んで、投稿しました。

 私と同じように、お腹が弱く食中毒に苦しめられている 人たちに、少しでもお役に立てば、幸いです。

 私だけが食中毒に苦しめられてきたのではないと思います。体験の共有に賛同される方々の食中毒に苦しめられた貴重な体験を拝見できるのを楽しみにしています。

 食中毒の苦しみを共有することで、食中毒でピンチに追い込まれ、パニックになり掛けた時の心の支えと、対処法のヒントが得られます。

 衛生状態の良い我が国で、これ等の重篤な食中毒 のリアルな体験記は珍しいのか、私の投稿を多くの人々にアクセス頂き、グーグル検索の上位を占めていることは、食中毒に苦しめられている多くの人たちに、私の体験を共有していただいている証拠と考え、 喜んでいます。

 この体験は、酷い食中毒の苦労を知らない人には「言えない、聞けない」内容ですから、食中毒に苦しんでいる人たちとだけ共有したいと思います。

 食中毒の苦労を、同じ悩みで苦しんでいる人たち聞いてもらいたいと考えていましたが、実名での公開は恥ずかしく、逡巡していました。

 匿名で発表するチャンスを与えて頂いている「食中毒への道」に感謝します。

G.P.S.




   投稿者/G.P.S.  

08/04/25


  貝の刺身(コレラを疑う)…新鮮

   4月始の週末に大学卒業55周年の同期会が開催された。
大学の学生食堂を会場に、校庭の観桜会を兼ねた会合であった。
会費に比較して料理が豊富であった。参加者の年齢を考えて、和食とし、船盛りの刺身と握り鮨の盛り合わせが中心であった。私の好物である、あわび、赤貝、ほたて、ほっき、みるがい、さざえ、などの貝の刺身が眼を引いた。幹事の説明によると会場費が安く、料理を充実できたとの事であった。
鮨をつまむ人が多い中で、私はまず、ビールを飲みながら、貝、まぐろ、ひらめ、鯛、甘エビの刺身、雲丹、子持ち昆布、などを堪能し、次に鮨をつまんだ。
翌日は市役所から依頼されている講演会の講師の予定があるので、お腹を壊さないよう気をつけて、量は控えめにした。しかし、アルコールが回り、旧友と歓談しながら好物を食べると自制心が疎かになった。
歓談と飲食を十分に堪能し、記念写真を撮って、60周年での再会を約してお開きとなった。

遅めの昼食を十分摂ったので、夕食を軽く食べて、早めに就寝した。
夜中に強烈なお腹の異常を感じて目覚め、トイレに急ぐと、凄まじい下痢が始まった。
トイレから戻り、寝入ると一時間も経たないで目覚め、トイレに急がねばならなかった。
ほとばしる茶色の液体の粘度と色がどんどん薄くなり、朝方にはさらさらの薄い黄土色になった。下痢は激しいが、発熱、腹痛、嘔吐はない。十数年前にタイで感染し、帰国直後に発病したコレラ?の発症時とよく似ている。この時はコレラ?とは気付かず、熱帯地方特有の食中毒と軽く考え、受診しないで自己流の治療をした。激しい下痢が長く続いたのに、点滴による治療を受けなかったため、脱水症とミネラル欠乏による後遺症に苦しんだ。【この時は、発症4日目に急激な体重の減少と異常な顔の窶れに気付いて、コレラを疑うようになったが、激しく繰り返す下痢と著しい体力低下のため、掛かりつけの医院へ行くのも困難であった。止むを得ず自宅で静かに治療した。海外の仕事では時間の制約、言葉の問題から酷い下痢症を自分で治した経験と自信があった。(コレラ?闘病記は「マンゴーシャーベット」に記載)】
昨日食べた貝の刺身の中に輸入品が混じっていて、コレラに感染したのかと心配になった。前回と同じ苦しみは味わいたくないので、朝すぐに、掛かりつけの医院へ行きたいと考えたが、講演会が10時から始まるので、帰宅後に受診することにした。

朝食は講演中のお腹の不具合を防ぐために、最低限の飲み物のみで我慢し、タクシーで、会場へ向かった。会場に着いて、主催者と挨拶を交わし、講演の用意を手早く済ませて、講演中のお腹の異状を避けるため、トイレに行ってお腹に力を入れたが不思議と反応がなかった。これならば2時間の講演中は大丈夫だろうと安心て、講師控え室に戻ると、お茶が用意されていた。飲み物を我慢していたので、喉が強く乾いていた。滑らかに話をするためにお茶を一杯飲んだ、とても美味しい、美味しそうに飲む姿を見ていた係りの人が「もう一杯いかがですか」と注いで呉れた。これも飲み干してしまった。

講演を始めて間もなく、先ほど飲んだお茶が絶食で空になっていたお腹の中を急速に動いていくのが感じられた。暫らくすると、お腹の異状を感じ始めた。普段は聴講者の反応を観察しながら、話の内容とスピードを調整し、できるだけ多くの人に理解してもらえるように努力するのであるが、お腹の中の異常な状態に気を取られ、話が単調に流れてしまった。聴講者は100名を越え、会場も広いホールであった。マイクを使ったが、かなり力を入れて話さないと、後ろまで声が届かなかった。
お腹の中でだんだん高くなる液体の圧力に対抗して、肛門括約筋を緊張させて我慢しているが、大きな声を出すと腹圧が掛かり、危うくなる。拡声器のボリュームを上げて、お腹に力を入れないようにして、講座の半分まで済ませ、区切りのついたところで、予定になかった休憩を宣言して、トイレに直行した。絶食し、水分摂取も控えていたが、先ほど飲んだお茶が胃の粘膜を刺激して腸管からの体液の分泌を促し、これらが直腸に送り込まれ、苦しくなったのである。コレラ、ウイルスによる分泌性下痢症の時には、絶食し、水分摂取を制限しても、腸管から分泌される体液による激しい下痢を避けることが出来ない。

講演を再開し、暫らく話を続けると、激しい下痢と水分摂取制限のため脱水状態になっていたので、口の中がひどく渇き、声を出すのが辛くなってきた。水を飲むとお腹の中の液体の圧力が高くなるが、飲まないと声がかすれて出ない、止むを得ずコップ一杯の水を飲んだ。この水で、残りの時間を持ち堪えようとしたが、暫らく話を続けると、また口の渇きを我慢できなくなり、さらに一杯の水を飲んだ。
講演の終わりに近づく頃から、先ほど飲んだ水の影響で、お腹の中の液体の圧力がぐんぐん高くなり、堪えるのが難しくなってきた。必死に堪えて、講演を終え、ほっとしたら、肛門括約筋の緊張が少し緩み、出口が濡れてしまった。すぐ席を外したいが、質問に答えなければならない。聴講者が多く、質問が続出し、質疑の終了まで30分以上掛かるのではないかと危惧された。予定にない再度の休憩は恥ずかしく、できなかった。
椅子に腰を下ろし前屈みになって、お腹の中の液体の圧力に耐え、我慢しながら、質問に答えた。濡れ始めている出口に加わる液体の重圧に耐えるは、表現のしようがない苦しみである。しっかり締めているゲートの僅かな隙間を、脈打つように潜り抜けた液体が少しずつ下着を濡らし始めた。ズボンを通過して椅子の表面の布地まで濡らさないように、ポリ袋を椅子に上に敷いた。
ちょっと気を緩めたり、お腹に圧力が掛かれば、無理に閉じ込めている多量の液体が一挙に噴出し、下着、ズボン、靴から演壇の床までを濡らしてしまいそうな緊急事態に追い込まれた。30分以上も我慢できるとは考えられず、堤防決壊の破局的な惨状が目前に迫ってきた。何とか切り抜けないと、取り返しのつかない醜態を曝すことになると考え、必死で我慢した。脂汗が滲みでて、顔面が蒼白になり、強烈に苦しんでいることが近くの人に読み取られたと思う。

体調がよくないことを事前に話しておいたので、司会者は、私が苦しみながら、回答していることにすばやく気付いた。彼は巧みに質問を整理し、15分ほどで、講演を終了させて、解放してくれた。この15分間はとても長く一時間近くにも感じられた。トイレに駆け込み、多量の薄い黄土色の液体を、滝のようにほとばしらせて、苦しみ抜いたお腹の中の重圧を一挙に解消した。やっと間に合って、体重より重い荷物を下ろせたように感じた。お腹の中の液体の重圧に耐えて、強烈な下痢の苦しみを長時間我慢する苦闘を無事克服した者のみが知る至福の瞬間を満喫した。もし間に合わなくて、最悪の事態を演壇上で曝け出してしまったら、私の恥だけで済まず、主催者にも迷惑を掛け、以後の講師の依頼は絶無になったであろう。

司会者の機転で、最悪の事態は免れたが、パンツとズボン下に薄い黄土色の染みがびっしょりと付いていた。ズボンの内側も濡れたが厚手のウール地であったので、表までは染み出さなかった。こんな惨めなことになるとは予想もしていなかったので、交換用の下着を持ってなかった。止むを得ず、染みをふき取り、パンツの内側にハンカチを当て、パンツとズボン下の間にティシュペーパーを重ねて挟み込んだ。激しく下痢が続き、絶食していたので、漏れ出した液体には嫌な臭いが殆どなかった。お尻が冷たくて気持ち悪いが、会場に戻っても、他人に不快感を与える心配はないと判断した。

食中毒でお腹を壊していて、演壇で苦しい思いをしたことは何回かあったが、講演途中の適切な切れ目で、休憩を一回取るだけで切り抜けてきた。殻つき牡蠣のノロウイルス中毒による激しい下痢の時も講演の途中で一回休憩を取ることで、無事に講演を続けられた。今回も同様に対処出来ると甘く考えた。普段とは違う、コレラ?と同じような激烈な下痢症であることに、気付いていたが、こんな深刻な事態になるとは想像もしていなかった。

トイレから会場に戻ると、聴講者は退場し、司会者が私の講演の資料を片付けていた。司会者は私の体調を心配して、主催者、司会者、主催団体の幹部との懇談を短時間に変更し、用意されていた昼食会への欠席も許してくれた。20分くらいの懇談の後に、帰宅のタクシーを呼んでくれた。主催者と別れの挨拶を交わし、タクシーで急いで帰宅した。

家で少し休んでから、掛かりつけの医院へ行った。3日前からの食事の内容を報告してから、「米のとぎ汁に薄い黄土色がついたような下痢を、夜中から20回以上繰り返しているが、コレラの危険はないでしょうか?」と質問した。医師は「コレラではなく、俗に小児仮性コレラと言われているロタウイルスによる下痢症でしょう。この病気は主に乳幼児がかかる胃腸炎で、成人が罹患発病することは稀です。」と笑いながら答え、「しかしコレラの危険性もあるので、2日経っても激しい下痢が収まらなければ、細菌検査をします。念のため下着は総て塩素消毒し、入浴をやめて、シャワーで我慢して下さい。」と指示された。
心配していたコレラではないらしいので、安心した。「激しい下痢のため、重い脱水状態になっているので、点滴で水分・糖分とミネラルを補給します。」との指示を受け、ベッドで多量の点滴を受けた。頻繁な激しい下痢が続いていたので、受診中の我慢が難しいと心配して、吸水剤入りのおむつを着用していた。長時間の点滴中にお腹の異常を感じてもトイレに行かず寝たままで済ませることができて、楽であった。点滴器具を引きずって、たびたびトイレに行くのは大変である。
医師はこの病気に効く薬はないと言って、乳酸菌製剤を処方して、「スポーツドリンクと紅茶を下痢の量に見合うだけ飲むこと、下痢が激しく辛くとも下痢止めを服用しないこと。明日も激しい下痢が続けば、点滴で水分・糖分とミネラルを補給しなければならないので、来院すること。」ときつい口調で指示された。

昼食と夕食を絶食して、安静にしていたら、翌朝から少しずつ快方に向かい、翌日の昼食には軽い食事を摂ることができた。食事に気を付け養生したので3日目にはほぼ快復した。発症時の症状は何時もの食中毒より激しく、コレラを真剣に疑ったが、激しい下痢は短期間で軽快し、体重の減少も3Kgであった。(コレラ?の時は激しい下痢が約一週間続き、体重は10Kg減少した。)今回はコレラ?の時のような後遺症は全くなかった。

後日、同期会に出席した友人たちに電話でそれとなく食中毒の発症を尋ねたが、該当者は一人もいなかった。またも私だけが食中毒に遣られたのであった。友人たちはロタウイルスに十分な免疫力があったのであろう。
医師に「この病気は乳幼児がかかる胃腸炎で、成人が罹患発病することは稀です。」と言われ、私のお腹の免疫力は乳幼児並みかと悲しくなり、医学書を調べた。【ロタウイルスにはA、B、Cの3群がある。A群は乳幼児にみられ、冬から早春に流行する。C群は年長児や成人にみられ、早春から初夏にかけて流行することが多い。B群は日本での報告はなく、中国でみられる。】と記載されていた。乳幼児だけでなく、成人もアタックするウイルスであることを知り少し安心した。   
ノロウイルスには多くの変種があり、流行するウイルスの形態が変化するため、免疫力の獲得はあまり期待できないと言われている。私は昨年の早春にもロタウイルスではないかと思われる下痢症を経験した。このウイルスも形態が変化し、免疫力の獲得は期待できないのであろう。あるいは、私のお腹の免疫力が異状に弱いのかもしれない。
殻つき牡蠣、貝の刺身と続けて貝に潜んでいたウイルスに酷く遣られ、醜態を曝してしまったので、貝は大好物であるが、当分口にしない決心をした。
G.P.S.(Dr.GERI)


   投稿者/G.P.S.  

08/03/22


  殻つき牡蠣のオーブン焼き…新鮮

   2月の終わりに、三陸海岸に住む友人から「牡蠣の季節が終わりに近づいた。よく肥えた殻つきを送るから、三陸の磯の香りと海の味を楽しんでくれ。」と電話があり、2日後に、冷蔵宅急便で素晴らしい牡蠣が3ダース送られてきた。鼻を突く磯の香りの新鮮な牡蠣の魅力に取り付かれ、すぐにオーブンで焼いて食べることにした。
殻つき牡蠣をオーブンで上手に焼くのはかなり難しい。焼き過ぎると新鮮な牡蠣の磯の香りがなくなり、中身も硬くなる。焼きが足りないと食中毒に襲われる。
私が食中毒に弱いので、自分で買うときは磯の香りと味が少し落ちるが、生食用を選ぶことにしていた。頂いたものは加熱用であった。

いささか高級な白ワインを開け、絶妙の焼き加減のつもりで、私は10個、家内は8個をとても美味しく平らげた。残り半分は翌日の牡蠣鍋用に取り置いた。
翌朝3時ごろにお腹の不調を強く感じて目覚め、トイレに急いだ。土石流のような強烈な下痢である。絶妙の焼き加減と判断して、食べたが、生食用の物を使った時の感覚が残っていたのか、加熱不足であったらしい。1時間位おきに激しく下痢が続いた。
7時ごろ家内が起きてきたが、何事もないという。またまた、私だけノロウイルスに遣られたと肩を落とした。ノロウイルスには亜種が多く免疫を獲得しにくいらしい。

この日は市役所から講演会の講師を依頼されていた。受講者に通知済みで、キャンセルはできない。この酷いお腹の状態で、2時間の講演を続けられるか?とても心配になった。
朝食は紅茶とスポーツドリンクを少し飲むだけで我慢した。

バスで駅まで行き、タクシーに乗り換えて会場に着いた。
用をしっかり済ませて、講演を始めたが、話をはじめて30分くらい経つと、お腹の異常を感じ始めた。肛門括約筋を緊張させて我慢しているが、大きな声を出すと腹圧が掛かり、危うくなる。50分ほど話をして、一区切りついたところで、トイレ休憩を10分とって、トイレに急いだ。
下痢が激しいので喉が渇くが、水を飲むとお腹の中の液体の圧力が高くなるので、口を濡らすくらいの量を時々飲みながら、後半の1時間を何とか持ちこたえた。
講演は好評で、質問が続出した。講演の終わる頃からお腹の中の圧力が高くなり、脂汗が滲みでた。私の苦境に気付いた司会者は10分ほどで、質問を打ち切り、解放してくれた。トイレに駆け込み、水柱のような下痢を済まし、楽になった。水分摂取を控えていても、腸管から分泌される多量の体液が直腸に溜まり苦しくなるのである。腸管から分泌される液体による下痢を避けるには、長時間無理に水分摂取を控えねばならない。このようにすると下痢の頻度を軽減できるが、脱水症状になって、非常に苦しむことになる。

講演会終了後、主催者、司会者、主催団体の幹部と折り詰め弁当を頂きながら懇談した。
お腹の状態からは食事をしたくなかったが、ここに出席される方は講演の最中には質問しにくいので、食事の機会に質疑応答をしたり、講師に有益なアドバイスを下さる。
食事をしてお腹の状態が悪くなっても、タクシーで15分以内に帰宅できるので我慢できると考えた。また翌日から数日間は特別の予定がないので気が楽であった。リスクは心配であったがお付き合いすることにした。

折り詰め弁当は当地の有名店のもので、私の好物も沢山盛り込まれていた。はじめはちょっと箸を付けるだけにする心算であったが、食べ始めると旨い料理である。朝食を抜いていたので、とても美味しく半分以上を平らげてしまった。
ビールも一缶付いていたが、以前にビールを飲んでお腹の状態を酷く悪くした経験があるので、頂いて帰ることにし、ウーロン茶を頂いた。下痢を避けるため水分の摂取を強く控えていたので、冷たいウーロン茶がとても旨い。お代わりをして2杯続けて飲んだ。
さらに食事とともにお茶を3杯以上飲んだ。食事とお茶は素晴らしく旨く、食事中に交わされた質疑応答、アドバイスも有益で楽しいものであった。
食事を楽しく頂いている時には、これが帰宅後の大失態の原因になるとは考えてもいなかった。

食事後、暫らく歓談し、帰宅のためタクシーを呼んでもらった。タクシーに乗り込む時、お腹に違和感を覚えたが、15分以内に帰宅できるので十分我慢できると判断した。
しかし、先ほど大量に飲んだお茶が車の震動で体が揺れるたびに、下痢と絶食で空になった小腸中をドボドボと駆け巡り、異常な早さで大腸に送り込まれた。
美味しく頂いた食事が胃袋に入って、消化器官の神経を刺激したので、大腸の運動が異常に活発になり、大腸へ送り込まれた液体は殆ど吸収されず、すぐ直腸に送られて、強烈な圧力で出口を押し開けようとし始めた。
懸命に我慢し、家に着くやいなや、タクシーから急いで降り玄関に直行した。ドアに鍵が掛かっていた。ポケットに手を入れて鍵を探すが、見当たらない。出掛ける時、バスの時刻ぎりぎりまでトイレに通っていて、慌てて出掛けたので、机の上に置き忘れたのである。インターフォンのボタンを押すが返事がない。
トイレに直行できないことは全く予想していなかった大誤算であった。
お腹の中の圧力に耐えることに神経が集中し、次にとるべき手を考える余裕を失って、玄関前に立ち尽くした。
肛門括約筋を緊張させて、必死で堪えながら、インターフォンのボタンを押し続けた。
ノロウイルスによる強烈な下痢を我慢するのはコレラ?の時と同様に極めて難しい。

家内は家にいる筈であるが、5分以上応答がない。我慢の限界に近づき出口の周りが濡れてきた。少し経つと液体が太ももの内側を生あたかたく濡らし始めた。もう限界と観念した時、玄関の内側に足音が聞こえ、鍵が開いた。家に入れると思ったら、ホット安心し、張り詰めていた筋肉の緊張が一瞬緩んだ、その時ドアを急いで引き開けようと力を入れたので、お腹に圧力が掛り、無理に直腸に閉じ込めていた大量の液体が凄まじい勢いで噴出し、太ももから膝までをびしょ濡れにした。
ズボン下の膝の辺りに一時的に溜まった液体が、ふくらはぎの側面を濡らしながら靴下、新調したばかりの靴の中に浸入し始めた。完全にパニックになり、考えることも動くこともできなかった。事の次第を見ていた家内は大急ぎで、大型のポリ袋を広げ、靴を脱いで、袋の中に立つようにと言った。
薄茶色が混じった黄土色の半透明の液体がポリ袋の底に溜まった。この瞬間、5歳の時、酷くお腹を壊して母屋から離れた厠に歩いて行く途中で、間に合わず立ち往生し、失敗したことを鮮明に思い出した。この時以来の大失態である。

家内に玄関から浴室までポリシートを敷いて貰い、その上に黄土色の半透明の雫を垂らしながら、歩いて浴室へ行き、シャワーで下半身を洗って、着替えた。下着、ズボン、靴下、靴の中まで黄土色の液体でびっしょり濡れてしまった。家の玄関での出来事で、すぐ家内に始末してもらえたので、対処できたが、外出先での失態であったら、どうなったことかと考えると、慄然となった。

大失態のぶざまな状況を家内の目前で曝け出したのは本当に恥ずかしく、さらに後始末をしてもらったので、これから頭が上がらないのではないかと心配になった。しかし家内は「大失態の原因の半分は、インターフォンに即答できなかった自分の責任です」と言って、嫌な顔を見せずに、最悪事態の後始末をしてくれた。感謝!感謝!

タイ旅行で同じ物を食べて、私はコレラ?を発病したのに、何事もなかった感染症に強い家内も今回は発症時刻こそ遅れたが、下痢に襲われた。インターフォンのボタンを押し続けていたときも立て続けの下痢で、トイレで苦しんでいて応答できなかったのである。
家内は私が鍵を忘れたことを知らないので、なぜインターフォンを鳴らし続けたか理解していなかった。

昼食は美味しかったが、この付けが回ってきた。消化のよい物を選んで口にしたのであるが、ノロウイルスに痛めつけられた小腸が消化吸収できず、大腸に不消化物を急速に送り込んでくる。送り込まれた不消化物の刺激で下痢は激しくなり、腹痛を伴い始めた。
夕刻になると、家内は回復の兆しが見えてきたというが、私は全く変わらない激しい下痢が続いていた。ノロウイルスに効く薬はないので、乳酸菌製剤をスポーツドリンクとともに沢山摂った。

牡蠣鍋用に取り置いた残りを食べたいが、二人そろって夕食を絶食した。私は夜中もしばしば激しい下痢と腹痛に見舞われ、熟睡できなかったが、家内は夜半からほぼ回復した。
私は翌朝も流動食を軽く摂ったのみで、ベッドから起き上がる体力がなくなり、頻繁に通うトイレの時だけ起きて、終日うつらうつらとベッドで寝込んでいた。夕方からようやく腹痛が解消して、下痢の回数も減り、水柱状態からゆるいが形を持つようになった。流動食を消化できるように回復した兆候である。しかし完全に回復するには4日を要した。

若い時にも酷い食中毒で、度々このような苦境に追い込まれたが、何とか切り抜け大失態を演ずることはなかった。80歳に近くなり肛門括約筋を長時間緊張させ続ける持続力が衰えてきたのが今回の大失態の原因と痛感している。

先日、大学のクラス会で、アルコールが回り、気楽な健康談義になった。ひとりがノロウイルスによる下痢症の酷い体験の話をすると、数人の友人が次々と同じような話を始めた。ここ数年、ノロウイルスによる下痢症が蔓延しているので、未経験の人も次は自分かと考えて、真剣に聞いていた。私が3回感染発病したことを話すと、さすがにみんな驚いた。経験者は皆、異口同音に、ノロウイルスによる下痢が極めて急激なアタックであるため、堪えるのが大変難しかったと言い、恥ずかしそうに大失敗の話をした。そして体のどこにこんなに大量の液体が蓄積されていたのかとの疑問がでた。私が経験したコレラ?の時は毎日数リットルの下痢を5日間続け、体重が10Kg減少したことを話し、ノロウイルス下痢症、コレラ?等の分泌性下痢症の病理を解説した。さらにウイルス性胃腸炎に対する私の独特な治療法について話した。
実体験に基づいた分泌性下痢症の病理の説明と独特な治療法が、明快で、分かり易かったらしく、クラス会からDr.GERIという称号【あだ名】を付与され、友人たちが激しい下痢で困った時には、私は必ず相談に与ることを要望された。極めて多くの食中毒を経験し、赤痢以外は自分で治した経験と自信があるので、名誉な称号ではないが有難く頂戴して、友人たちの下痢症治療の相談に乗ることを約束した。

普段胃腸が丈夫で激しい下痢症の経験のない人は下痢への対処法に疎いので、ノロウイルス下痢症の急激なアタックに対応できなくて、パニックになり、大失敗をしたようである。
失敗した人は、自分だけの人に言えない失態と考え、仕舞い込んでいたが、同病が身近に沢山いたことを聞いて、ほっと安心し、積極的に自分の失敗談を披露した。夜中の急激なアタックで間に合わず、高級ベッドのマットをびしょ濡れにして、10万円の損害とぼやく者。ベッドからトイレへの途中で暴発し、じゅうたんの高額なクリーニング代を小遣いから捻出させられた者など悲惨な物語が披露された。これ等の失敗談は尾篭で、悲惨な話であるが、他人のことであれば、いささか興味をそそられる飽きのこない酒のつまみの話であった。

ノロウイルスに遣られ、大失態に見舞われた友人が沢山いたことを知って、私も大いに慰められ、誠に恥ずかしいこの投稿を書く勇気が出た。
食中毒で酷い下痢症となり大失態を経験して、落ち込んでいる人に、仲間が沢山いることをお知らせしたい。
G.P.S.(Dr.GERI)


   投稿者/G.P.S.  

07/08/26


  鮨…半日放置

   真夏の暑い日のことである。家内が朝早くから出掛けたので、近くのスーパーへ昼食を買いに出掛けた。惣菜売り場に旨そうな鮨の詰め合わせが手ごろな値段で並べられていた。
鮨や刺身は出来たてでなければ口にしないことにしているのだが、ほかに食べたいものが見つからず、安い値段にも釣られて購入し、予算の余りで、パパイヤを求めて、帰宅した。パパイヤは冷蔵庫で冷やしたが、鮨は冷蔵庫で冷やすとシャリがぱさぱさになり、不味くなるので食卓の上に置いた。暑い日なので作成時刻9時の2時間後までに食べる予定にしていた。

10時半過ぎに地域の友人達が突然尋ねてきて、客間で地域の活動の相談を始めた。
話しが意外に複雑になり、結論を得たのは1時近くであった。彼らが帰ると急いで、鮨とよく冷えたパパイヤを食べ始めた。鮨を4時間近く室温30度以上の食卓に放置してしたので、腸炎ビブリオ菌の増殖が怖い気がしたが、以外に味がよく全部食べてしまった。
夕刻帰宅した家内に昼飯のことを尋ねられたので、鮨が旨かったことを話すと、家内は顔を曇らせて、「今夜何事もなければよいが」と呟いた。
夕食を済ませ、床に付いた。翌朝1時近くに強烈なお腹の異常を感じて目覚め、トイレに急ぐと、激しい下痢が始まった。以後約1時間半おきに目覚め、激しく下痢を繰り返した。

その日は年に1回のクラス会の日であった。激しい下痢と絶食で、足元が少しふらつくが、
無理をしても出て、一年ぶりに旧友に会いたかった。会場はS駅の近くで、トイレが付いている中距離電車で直接行くことが出来るので途中の心配は無い。
朝食は紅茶とスポーツドリンクだけで我慢した、電車のトイレのそばの座席が空いていたので、占領し、いつでも大丈夫と安心していた。S駅に近くなりお腹の異常を感じ始めた。トイレに入ろうと表示灯を見ると点灯している。S駅まで我慢と決めて、S駅に着いた。
S駅のトイレに行き、個室を覗くと旧式の和式である。下痢が激しいのでお返しに襲われるし、頻回の激しい下痢で出口の粘膜が傷つき、痛むので温水洗浄の洋式を使いたいと思い、駅に隣接するデパートのトイレを借りることにした。

この時点でお腹の状態はかなり切迫していたが、なんとか我慢できると判断した。デパートのトイレに行き、個室に入ろうとしたらすべて満室であった。慌ててエスカレータで上の階のトイレに行くと清掃中であった。再びエスカレータでその上に行くが、また満室である。もう歩くことが出来ないほどお腹の状態が切迫してきた。空くのを待つことにした。
駅に着いて10分ぐらいの間にお腹の状態が激変した。喉の渇きを我慢できず、電車の中で飲んだお茶が、ビブリオ菌に傷めつけられた腸で吸収されずに、トイレを探して歩き回るうちに、直腸に急速に降りてきて、出口に強い圧力を加え始めたらしい。強烈な圧力で体外に出ようとする液体を漏らさないように閉じ込めておくには大変な努力が必要である。腸内を液体が音を立てて、激しく動くのが分かる。顔面に脂汗が流れ出す、腰を少し曲げてお腹の圧力を軽くし、手のひらでお尻の山を引き寄せて漏れ出ようとする圧力への抵抗も試みた。いずれもあまり効果が無い、早くお腹の中のものを出して、楽になりたいと考えながら、懸命に肛門括約筋を緊張させていた。ぶるぶると身震いがし、お腹がグーと鳴って、腸内の圧力が少し下がった。ホットするが、暫らくするとさらに強力な圧力で出口を押し開けようとするかのような液圧が直腸の末端を強く刺激した。

先ほどからノックしているが、先住者はなかなかドアを開けてくれない。いよいよ我慢の限界である、もう一刻を争う事態で、ちょっとの刺激で大量の液体が流れ出して、下着からズボンさらに床までびしょ濡れにしてしまいそうな、最悪の危険な状態に追い込まれた。
再び、ドアを激しくノックし、緊急事態を伝え、交代をお願いした。水を流す音が聞こえ、先住者はズボンをせり上げながら、ドアを開けて譲ってくれた。バンドとチャックはあらかじめ緩めてあったので、便器をまたいで、ズボンを押し下げ、ズボン下とパンツを下げながらしゃがみ込み始めた。腰を下ろし、お腹の中で私を散々苦しめた液体を無事に放出すれば、「至福の瞬間」を満喫できる筈であった。
しかし、この時まで無理に緊張を続けていた肛門括約筋の緊張が突然緩み、しゃがみ込む動作で、腹圧が掛かると、腰を便座に下ろす前に、腸内の薄茶色の液体が凄まじい勢いで一挙に水柱のように噴き出した。何とか止めようとして懸命に肛門括約筋を緊張させたが、一度開いたゲートは意思の力ではどうしても締めることができなかった。
水柱は本来入るべき所より上の便器のふたの裏を直撃して四方に激しく飛び散り、お尻、太もも、途中まで下げたズボン下とパンツ、便座、便器の周りの床などをあっという間もなく、容赦なく汚してしまった。強烈な第一波が瞬時に終わると、お腹の圧力は低くなったがすぐに次の波が押し寄せてきた。
汚れた便座に座り、第二波の激しい下痢、第三波のしゅうっと出る細い水柱の下痢を経て、ようやく平常に戻ることが出来た。後ろを振り返り、あまりの惨状に唖然となった。
便器の後部は薄茶色の濁った液体に覆われている。ズボン下とパンツもとても穿いて、クラス会に出ることは出来ない。幸いにズボンは十分下に下げてあったので被害を免れた。
お尻と太ももの汚れをふき取り、ズボン下とパンツの汚れはひどい部分のみをふき取り、新品を購入して、履き替えることとした。
便器の汚れは手の下しようが無い、メモ用紙に千円札を二枚包んで表に「ひどく汚してご免なさい。お詫びの印です。」と記して、便器のふたの後ろに目立たぬように置いた。
次の人が汚れた便座に座らないよう、薄茶色の濁った液体に覆われた便器の蓋を開けたままにしてドアを閉めた。幸い夜中からの激しい下痢と絶食でお腹の中が空になっていたので、出たものは殆んど水分で、悪臭を発する物は僅かしか含まれていなかった。

下着を求め、履き替えて、会合に向かった。途中でのアクシデントを予想して、十分な余裕を見て家を出たが、想定外に酷いアクシデントのため、開始時刻に5分遅れた。
皆は私の到着を待っていてくれていた。私が席に着くと生ビールの大ジョッキが配られて、乾杯となった。
激しく下痢を続けていたので、ものすごく喉が渇き、生ビールがうまい。飲み干すとすぐに2杯目が配られた。今日は一杯だけと心に誓って、出掛けたのだが、あまりの旨さに、2杯目を飲む、アルコールが入るとつまみが欲しくなる、目の前に旨そうな中華の前菜が並べられている。消化のよいもの以外は口にしないつもりであったが、好物を見つけると、つい手を出してしまった。
いつの間にか3杯目のビールに口をつけていた。大好物の中華料理が次々と運ばれてきた。2杯のビールと前菜を口にしたが、お腹は悲鳴を上げない。先ほどまであんなに苦しんだ下痢症がすっかり解消したように感じ、アルコールの魔力と楽しい雰囲気に魅せられて、好物を次々と口にしてしまった。楽しく話が弾んでいる間は、お腹の不調をすっかり忘れていた。楽しい2時間が過ぎ、次回の予定を決めて、お開きとなった。

楽しい時間が終わると急にお腹に強い異常を感じ、トイレに急いだ。飲んだビールがそのまま出てきたような凄まじい下痢である。ビールの泡とビールの匂いのする液体がシャワーのように大量に噴出して、お腹が少し楽になった。腸炎ビブリオ菌のアタックで腸の吸収能力が低下し、蠕動運動が昂進して、飲んだビールは直腸に急送されたためか、ビールを沢山飲んだ時に出る小水の量が極端に少ない。また、大ジョッキ3杯のビールを飲んだにしては酔いの感じ方が軽い。アルコールも小腸を素通りして、超特急で直腸に送り込まれたのであろう。腸は凄まじい勢いで、口に入れた液体を直腸に送り込んでいることが、腸の急激な動きと腸内から聞こえてくる異様な音で実感された。
S駅でトイレの付いた車両に乗り、トイレの横の座席を確保した。乗車するとすぐ、先ほどと同じような強烈な下痢に見舞われた。同じことを2回繰り返して、帰宅駅に到着した。
歩いて帰ることは不可能である。タクシーに飛び乗り家へ直行し、温水洗浄のトイレに駆け込んだ。

帰宅後も頻繁に下痢が続いた。腸炎ビブリオ菌で痛めつけられたお腹に、生ビール大ジョッキ3杯と油分が多く消化のよくない中華料理を入れたのは無謀で、過酷な行為であった。
昨夜から続く下痢でぐったりして、ベッドに横たわった。腸の水分吸収能力が低下し、脱水症状が出てきた。猛烈に喉が渇き、スポーツ飲料と紅茶をトイレに起きるたびに飲んだ。
夕刻になると、お腹が張って、強い腹痛に襲われ、トイレに急いだ。ほとんど消化されていない中華料理の噛み砕かれた断片が、粘液混じりの色の濃いビールのような液体と一緒に、激しくほとばしった。小腸で十分に吸収されなかったアルコールが激しい下痢で弱った直腸の粘膜を痛めつけ、さらに不消化のまま直腸に送り込まれた中華料理が粘膜を刺激し、さらに異常発酵を起こし、強烈な腹痛を引き起こしたのであろう。
一晩中強烈な腹痛と1〜2時間おきの下痢に苦しみ、ほとんど眠ることが出来ないまま、夜が明けた。夕食と朝食は飲み物だけで我慢したが、午前中も下痢が激しく続いた。

朝になっても腹痛が強烈なので、掛かりつけの医師に診てもらいたいが、いつ突然の下痢に襲われるか分からないので、家の外へ出ることがとても怖く、逡巡していた。幸いに、消化できなかった中華料理がお腹から出てしまうと、腹痛が軽くなった。お腹の痛みがなくなれば、いつもの腸炎ビブリオ菌食中毒と同じように自分で治せると考え、掛かりつけの医院へ行くのをやめた。事の経過を正直に医師に報告したら、ものすごく叱られると、恐れをなしていたのも医院へ行くのをやめた理由の一つであった。
昼も絶食して、ベッドとトイレを頻繁に往復する。夕刻近くにようやく回復の兆しが現れ、夕食を軽くとって床に就いた。夜間、数回目覚め、トイレに行き、徐々に回復していることを確認できた。しかし、無謀で、過酷な負担を掛けたお腹が完全に回復するには、食事に十分注意しても、一週間の期間が必要であった。この間、徐々によくなっていったものの、しばしば突然襲ってくる下痢に悩まされ、外出もままならない不自由な生活であった。

30度以上の室温に4時間放置した鮨をうっかり食べたことが原因であるが、腸炎ビブリオ菌に痛めつけられたお腹に大量の生ビールと中華料理を入れたのは大失敗であった。
在職中、食中毒に度々襲われたが、発病しても仕事を続けるために、発病中は食べ物に特別に慎重であった。今回は翌日に仕事が無い気楽さと楽しい雰囲気に魅せられて、寸前まで苦しめられていた下痢症がすっかり解消したように錯覚して、つい無謀な飲食を続け、ビブリオ菌に痛めつけられていた腸炎を重症化、長期化させてしてしまった。
食中毒にかからない注意が第一であるが、発病したら、予後の慎重な対応が大切なことを激しい下痢と耐えがたい腹痛の苦しみの経験で学んだ。この失敗は絶対に繰り返したくない。最後に、私の轍を踏む人がひとりでも少なくなるよう祈念します。


   投稿者/G.P.S.  

07/05/19


  刺身…一日放置

   食中毒に苦しんでいる者の「生き地獄の苦しみ」と「至福の瞬間」の経験をお話します。
マンゴーのシャーベット(コレラ?)
赤貝、牡蠣(ノロウイルス下痢症)
水(クリプトスポリジウム下痢症)
韓国料理(赤痢)
冷麺・焼肉(ロタウイルス下痢症)
氷(ブラジルの風土病)
レタス(海外旅行者下痢症)
ホヤ【海鞘】の酢の物(腸炎ビブリオ菌下痢症)

と投稿しましたように、私は、細菌、ウイルス、病原性原虫と殆どの重篤な食中毒を経験しました。(O−157はまだ経験していません)
食事前の手洗い、外食時のレストランの選定、家庭料理には十分に注意していますが、慢性萎縮性胃炎のため胃消化液の酸性度が低く、加えて消化器官の免疫機能が弱いので、多くの人と一緒に同じ物を食べても、ひとりだけ酷い食中毒になることが度々ありました。

衛生状態と、食糧事情の悪い終戦後は、腸炎ビブリオ菌下痢症、サルモネラ菌下痢症、病原性大腸菌下痢症などの一般的な食中毒に記憶できないくらい頻繁に襲われ、苦しめられました。
海外への技術輸出の仕事を担当しましたので、海外出張の機会が多く、海外旅行者下痢症、風土病的な強烈な下痢症、伝染性の下痢症などにしばしば見舞われ、とても苦しい思いをしました。
赤痢とコレラ?に感染したのはいずれも海外でしたが、発病が帰国直後であったのは不幸中の幸いでした。
赤痢は掛かり付け医師から当時では考えられないスマートな方法で治療して頂きました。(現在では常識的な治療法になったと思います)
コレラ?は掛かり付けの医院に行くことも出来ないほどの激しい下痢のため、自宅で、自己流の治療法で切り抜けましたので、正式にコレラと診断されたわけではありません。そこで?を付けました。

あまり度々食中毒に襲われるので、食中毒でどんなに苦しくとも、仕事を休まないことを固く心に決めて、その時のための対策を立て、実行しました。しかし食中毒の苦しみに耐えて、仕事を続けるのは、本当に大変なことでした。体調が非常に悪くとも仕事を休まず、通学、通勤する途中で、大変ピンチな状態に追い込まれたことがしばしばありました。

終戦直後のトイレの3K(数が少ない、汚い、混んでいる)にとても苦しめられた辛い経験は忘れることが出来ません。激しい下痢ですから、いくら気を付けて利用してもトイレを汚してしまいますので、汚いことは我慢しますが、数が少なく探すのが大変、混んで待たされるのは、食中毒に苦しんでいる者には「生き地獄の苦しみ」です。

大学に通学中の夏の日のことです。前日の昼食に、前々日の夕食で残り、放置されていた刺身をうっかり食べたため、食中毒になり、夜中から激しい下痢を繰り返していました。
その日は中間テストで一時限に登校するため、通勤ラッシュの時刻と重なり、駅は混んでいました。朝食を絶食し、家で十分に済ませてきたのですが、駅に到着する前から我慢の限界に近づいていました。改札を通り、トイレに直行しますと、満員で個室の前に並んでいます。覚悟を決め、肛門括約筋を力いっぱい緊張させて耐えていました。

隣の個室のドアの前にいた中学生が顔面蒼白となり脂汗を流して頑張っていました。
しかし力尽きたのか、異様な音がして、暫らくするとズボンの裾から黄色い液体が流れ出し白のソックスと白の運動靴に筋模様をつけてしまいました。肩を落として泣き出しそうになったその時ドアが開き、個室に入ることが出来ました。もう2〜3分頑張れば、無事に済ますことが出来たでしょうが、気の毒にも間に合いませんでした。並んでいる人は大勢いましたが、気付いたのは彼の後ろの人と両隣ぐらいであったのは不幸中の幸いでした。

隣人の苦境を見てしまうと、連鎖的に私も危うくなりました。肛門括約筋を必死で締めていましたが、液体がわずかずつ漏れ出し始めました。もう限界で大変だと観念した時、幸運にも、扉が開きました。パンツがかなり濡れましたが、大失敗の一歩手前で踏み止まれました。長い間我慢していたので、大量の水様便が滝のように、ものすごい勢いでほとばしり、しぶきが便器の周り中に飛び散りました。

無事済ませましたが、漏れ出した液体はパンツの局所をびっしょり濡らしていました。家に帰り着替えたいが、時間の余裕がありません。危ないと感じた時に、パンツをお尻に密着させ、ズボンとの間を広げておいたので、ズボンはほとんど無傷でした。
昨夜から激しく下痢が続き、お腹の中には何もないため、漏れ出した液体は、喉が渇いて飲んだ水と腸管粘膜から滲出した体液で、淡い黄色でほとんど無臭でした。
ちり紙でパンツの液体を吸い取り、体温で乾かすことにしました。パンツを体に密着させて、濡れたパンツとズボンの間に隙間の出来るように、ズボンを下げて穿きました。
お尻が冷たくて、気持ち悪いが、学校に着くまでに乾かすため、電車の中で座らずに車両の隅に立っていました。学校に無事に着き、中間テストが始まるまでにパンツが乾き、着席できました。

テストの途中で、またもやお腹の異常を我慢できなくなり、必死に堪えて、答案を書き終えましたが、最後の詰めの点検をするゆとりがなく、制限時間前に提出して、トイレへ駆け込みました。後日、教授から「答案はよく見直してから出せ」とご注意をいただきました。

食中毒に弱い私は通学・通勤中にこんなピンチに追い込まれたことが度々ありました。激しい下痢の時、我慢に失敗すると下着からズボンまでがびっしょりと濡れてしてしまい、通常の方法では登校・出勤も帰宅もできなくなる危険があります。このような惨状にならないようにするため、緊急時にトイレが使い易い駅のある通学・通勤経路を選び、バスでの長時間の通学・通勤を避けました。結婚後に住宅地を選ぶ時は、トイレの付いた中距離電車で通勤できる地域を選定しました。このようにしたので、非常に体調の悪い時も緊急時のトイレ探しを心配せずに出勤できました。駅と電車のトイレにはお世話になりました。

最近は吸収力が強い、薄手の特殊なパンツが開発されました。激しい下痢の時に出掛けなければならず、トイレがなく停車間隔の長い急行電車に乗る時などに、安心確保のため使用しています。これを使用していると最悪の時にも、何とか他人に知られない安心感があり、非常に体調の悪い時でも意外にピンチの状態に追い込まれません。(もし最悪の事態になれば、後の処理が大変と思いますが、温水洗浄トイレがあれば、何とか成りそうです)

学生の時には恥ずかしくて出来ませんでしたが、通勤するようになってからは、男性用が満員で順番待ちの我慢が出来ない時には、最悪の事態を避けるため、女性専用を拝借しました。
通勤ラッシュの時間帯には、こちらは比較的すいていました。難関は入り口の洗面ブースでお化粧直しに専念している人たちに気付かれずに侵入することですが、彼女らはお化粧に夢中で、後ろを通る人には気を掛けません。
ただし、無事済ませても、出る時が大変です。入ってくる女性と鉢合わせする危険があります。中年の小母さんと鉢合わせした経験があります。彼女は大きな目で私を睨み付けましたが、深々と頭を下げると、無言で通してくれました。声を掛けられたら大勢の化粧直し中の女性に囲まれて大変なことになっていたと、今でもその時の恐怖が蘇ります。

世の中が安定し、経済の復興が進むに従い、トイレの数が増え、水洗化が急速に進みました。空きトイレを探す苦労は少なくなりましたが、食中毒に苦しんでいる者に困った事が出来ました。和式水洗トイレの構造です。底が浅いため、激しい水様性の下痢をすると、お返しのしぶきがお尻、太もも、ズボンの裾、靴にまで飛び散ることです。
事前に底にトイレットペーパを敷き詰めておくとお返しを軽減できることを知っていますが、ほとんどの場合、その余裕がありません。我慢の限界に達しており、個室に入るやいなや、ズボンとパンツを下げて、腰を下ろす途中から肛門括約筋の緊張が自然に解けて、滝のように水柱がほとばしるからです。

しかし堪えに堪えて、やっと無事済ませた瞬間の快感と安堵感は何ものにも優ります。
「食中毒に苦しんでいる者の至福の瞬間」です。

食中毒に苦しんでいるとき、困るのは航空機での旅行です。
海外旅行では、食中毒の原因の菌が日本のものとタイプが異なり、免疫抗体を持たないため、よく酷い食中毒になります。仕事の日程の都合で、体調が非常に悪くとも、搭乗しなければならないことが多くあります。
このときは搭乗前夜から、食事を避け、飲み物もセーブし、下痢止めを服用しますが、腸管粘膜から体液が滲出するため、下痢を完全に止めることは出来ません。
離着陸時のシートベルト着用は予想し、用意していますが、乱気流で突然のしかも長時間のシートベルト着用時に、ベルトの下のお腹の異常な圧力を我慢する苦しみは大変です。
どうにも我慢できなくなって、トイレに駆け込み、「危険です、すぐにお戻り下さい」と女性客室乗務員から金切り声で注意された恥ずかしい思いを忘れられません。
飛行機の便器は小さく浅いため、激しい下痢の時にはどんなに気をつけて使用しても、ほとばしる液体の跳ね返りが便器をひどく汚して、次の利用者に迷惑を掛けるだけでなく、自分のお尻や下着まで汚してしまうので、とても辛く、危険を伴うが、可能な限り空港のトイレまで我慢します。

経験した沢山の食中毒に苦しんだ辛い思い出の内から典型的な事例を投稿しました。
まだ沢山の「辛い苦労」と「至福の瞬間」の経験を記憶していますが、内容が重複しますので、しばらく投稿を休ませていただきます。


   投稿者/G.P.S.  

07/05/16


  ホヤ(海鞘)の酢の物…新鮮

   丈夫なお腹が自慢であった同僚ら十数人と、夏の旅行会の夕食で、新鮮で、磯の香りの豊かなホヤの酢の物と赤貝の刺身を食べて、ほぼ全員が食中毒になったことがある。
磯の香りを残すため、ホヤと赤貝の洗浄が不十分であったことが原因の腸炎ビブリオ菌下痢症と推定している。(ホヤ:東北地方太平洋沿岸で取れる海産物で、独特の香りが強い)

私は夜中から激しい下痢に襲われた。あまり度々トイレに行くので、同室の友人の睡眠の妨げになると思い、ロビーの長いすに横たわり、ロビーのトイレを使用していた。
明け方近くになると部屋の中が騒がしくなった、何人かが下痢を発症し、トイレの先陣争いを始めていた。

発症した者全員、下痢は頻回で激しいが、嘔吐、激しい腹痛、発熱に苦しむ者はいないようである。
朝食の時間になり、広間に全員が集合したが、食事に箸をつける者は半数ぐらい。
私はお茶と梅干と味噌汁の汁だけを口にした。脱水に成りかけていたので塩味の効いた味噌汁がうまかった。
女将が出てきて、丁重に詫び、宿泊費、料理代は遠慮し、治療費を負担させて頂きたいと申し出、お土産を用意するのでお納め下さいと言った。そして今日は日曜日なので病院と医院が休診であるため,個人医に特別に往診してもらうしかないがどうするかと尋ねた。
下痢は酷いが、激しい腹痛、発熱などの悪性の症状のある者はいないので、医師の診察を受けずに、少し休んで、落ち着いたら帰宅すると回答した。女将はほっとしたようで、下痢止めの薬を求めて来ると言って急いで出掛けた。暫らくすると女将が戻り、下痢止めの薬が配られた。
集団食中毒が表ざたになると、旅館は営業停止処分を受けるであろう。我々も新聞記事に書き立てられたくはなかった。

皆より遅れて朝食後から発症した丈夫なお腹が自慢の彼は、下痢止め薬を飲んだが、すぐには効かないので、規定の倍量を追加して飲んだ。昼前には下痢が止まり、他のものが下痢で苦しんでいるにも拘らず、丈夫なお腹を自慢した。いささか憎らしかった。

早めの昼食として、ゆるいおかゆに梅干、干物などが出された。朝食を抜いた者の多くはおかゆをうまそうに食べた。私はおかゆの上澄み(重湯)に梅干を入れて飲んだ。塩味と酸味が利いて意外に美味しかった。

昼食後暫らく休んで、みやげ物を受取り、女将に見送られながら、帰路に着いた。
帰宅のため乗ったローカル線のディゼル車にはトイレがなかった。停車するたびに我慢できなくなった者が次々と途中下車した。目的地に無事到着したのはホヤの臭いが嫌いで箸をつけなかった者と下痢止めの薬を3倍飲んだ彼と下痢の我慢に慣れている私だけであった。
ローカル線は一時間に一本位の運行なので、途中下車すると一時間待たねばならない。私は一時間もローカル線の駅舎で待たされ、乗車し暫らくしたら再び途中下車となったら、2時間も遅れてしまう、駅から歩いて帰宅できるから、最悪の時には、下着とズボンを少しぐらい濡らしてもかまわないと腹を決め、辛くとも途中下車しないと決心した。
目的地まで約2時間の最後の1時間近くは漏れ出ようとする液体との辛い闘いであった。なんとか液体を押さえ込むことができ、目的地の駅に着くやいなやトイレに駆け込んだ。

下痢止めを飲まなかった私は帰宅してからも頻繁に続く下痢に苦しめられたが、絶食し、就寝したら、夜中にも目覚めず、翌朝にはすっきり回復した。
翌日出社したら、下痢止めの薬を3倍飲んだ彼が昨夜から高熱と激しい腹痛と痙攣を起こして、緊急入院したと連絡があった。多量の薬で無理に下痢を止めたため、食中毒を起こした菌が腸内で異常に増殖して、発熱と腹痛を起こしたのであろう。自慢の丈夫なお腹も大量に増殖した腸炎ビブリオ菌には勝てなかったようである。彼はこの事故以来、丈夫なお腹を自慢しなくなった。

翌日、規定量の下痢止め薬を服用した連中も全員が出勤してきた。しかしまだ下痢が続いている者が多かった。細菌性の下痢症に対して、市販の下痢止め薬は一時的な効果しか発揮できなく、症状を長引かせる副作用があった。

子供の時に食中毒で、下痢をすると、下痢止め薬を飲まされた。下痢は止まるか、頻度が少なくなるが、小腸で十分に消化されなかった内容物が大腸の内に滞留して、異常発酵を起こし、お腹が張り嘔吐する。この時には、発生したガスの圧力で腸の内容物まで吐くので、ものすごく苦しい思いをした。
嘔吐しない場合には、発生したガスの圧力で腸管が拡張して、お腹が破裂するのではないかと心配するくらい膨らみ、耐え難い腹痛に悩まされ、下痢止めの効力が低下すると、ガスと一緒にシャワーのような下痢を繰り返した。

この経験から、医師に下痢止め薬を処方されても、どうしても下痢を一時的に止めなければならない時以外は服用しなくなった。

下痢止め薬(止瀉剤)には多くの種類のものがあるが、漢方薬を除けば、下記の3種が代表的なものである。
塩酸ロペラミド(商品名:ロペミン)は腸の運動を強力におさえ、腸管での水分の吸収を増やす止瀉剤で、医師の処方薬である。強力な止瀉作用があるので、緊急の場合に役立つが、食中毒の症状を悪化させ、長引かせる危険性が高い。
ロートエキス配合薬(商品名:ストッパ下痢止め)は腸をコントロールする神経に作用し、収縮を正常化し、下痢を止める。急に発症した下痢を止めるのに広く使われている。
この薬はお腹の冷え、消化不良などによる単純な下痢症、過敏性腸症候群などの腸管の異常運動による下痢症に対して有効であるが、食中毒での下痢に対しては一時的な効果しかなく、症状を長引かせる危険がある。
塩化ベルベリン(商品名:ワカマツ錠、フェロベリンなど)は止瀉作用が穏やかであるが、腸管内の病原菌に対する強い殺菌作用と腸管蠕動抑制作用および胆汁分泌促進作用が期待できる。軽い食中毒での下痢症に対して有効である。
私は細菌感染が原因の食中毒で、どうしても止瀉剤が必要な時にはこの系統の薬を使用している。

食中毒で下痢を発症した時には、出掛けるまで、または仕事を始めるまでに十分な時間があれば、水分と乳酸菌製剤を過剰なくらいに摂り、お腹の中の食中毒の原因物を積極的に速やかに排出することで、腹痛、発熱を避けることができる。
このようにすると、一時的に下痢が激しくなるが、お腹の中がすっきりして、回復が早いことを経験から感じて実行している。私には下痢止め薬よりはるかに効果が確実である。
特に有効な薬のないウイルス性下痢症に対して効果がある。

食中毒の原因が細菌感染であると推定される時は、掛かり付け医師に診断してもらい、想定される病原菌に適合する抗生剤を服用する。しかし抗生剤は腸内の細菌のバランスを崩し、下痢症を長期化させることがしばしばある。この対策として、乳酸菌製剤を同時に多量に服用する。止瀉薬を同時に処方する医師もあるが、私は決してこれを服用しない。

食中毒の原因がウイルスの場合は有効な薬剤はない、乳酸菌製剤を多量に服用し、ORS(経口補水塩)かスポーツドリンクなどミネラルと糖分を含んだ水分を飲用して脱水症を防いで、自分で治すことにしている。脱水にならなければ、どんなに下痢が激しくとも、生命の危険はない。私は何回も経験している。
嘔吐が激しければ、経口で水分補給が出来ないので、医師による点滴が必要である。

下痢症の原因が細菌感染かウイルス感染かを正確に判断するには、細菌・ウイルスを培養して検査する必要があるため、時間が掛かる。検査結果が出るまでは医師でも判断が困難で、発症前に摂取した飲食物から推定せざるを得ない。

食中毒への警戒を怠ることなく、下痢を発症したら、その原因を自己判断し、適切に速やかに対処することが大切である。


   投稿者/G.P.S.  

07/05/12


  レタス…新鮮

   この熾烈な苦しみはたった一枚の生レタスから始まった。
約10年前、中国の古都西安の観光を終えて、洛陽に向かう列車内で食べる昼食に、当時の中国では珍しかったホットドックが渡された。丸いパンにハンバーグと一枚の生レタスが挟まれていた。
洛陽への車中で、熱いウーロン茶と共においしく食べた。
洛陽へ午後に到着し、市内の見学を終えレストランで夕食をとった後、ホテルで宿泊した。
翌日は洛陽郊外を見学し、夕食のためレストランへ行った。昼食後からお腹の軽い異常を感じていたが、夕食の席についても、なぜか食欲がない。お腹が軽く張った感じで、美味しそうな料理を見ても、箸が伸びない。食中毒発症の前兆のような予感がするので、軽く食事を済ませて、4人一部屋の夜行寝台列車で北京に向かった。

夜半にお腹の異常を感じて目覚め、トイレに急いだ。強烈な下痢が始まった。数回トイレに通い、夜が明け始めたとき、途中駅に停車した列車がなかなか発車しなかった。中国語の案内が放送されたが、理解できなかった。
お腹の張りが強くなり、我慢できなくなってきたのでトイレに急いだ。トイレの前に駅員が立っていて、トイレを使用させてくれない。緊急事態であることを英語で説明したが、通じない、手帳に「下痢 緊急 要排便」と書いて示した。彼は理解したらしく、駅舎を指さして駅のトイレを使えと言っているようである。しかしそこに行っている間に列車が発車したら、置いてきぼりになる。

寝台に戻り横になる、お腹の圧力の第一波が押し寄せてきた、肛門括約筋を緊張させて、必死に堪える。液体を漏らさないように肛門を厳重に閉じるのはものすごく大変である。暫らくすると体が軽く震えて、お腹がグーと鳴って、圧力が低下した。
発車までどの位待たなければならないか分からない。最悪の事態に備えて、お尻とパンツの間にタオルを挿入し、念のためビニールの風呂敷を腰の下に敷いた。暫らくするとお腹の圧力の第二波が押し寄せてきた。第一波より強烈である、渾身の力を振り絞って耐えた。
脂汗が流れ出た。強烈な水圧で肛門を押し開けようとしているようである。体が小刻みに震える、再びお腹がグーと鳴って、圧力が低下した。直腸内の液体の一部が結腸内に戻ったようである。このまま無理の堪えていると次の波で、肛門を突破出来なかった腸の内容物が逆流して嘔吐になる危険が感じられた。

次の波は耐え切れそうにないので、最後の手段として、寝台のカーテンをきっちり閉めて、厚手のビニール袋内に放出する用意をした。(注記)放出する時の異様な音と臭いがカーテンの外に漏れるのが恥ずかしいので、ぎりぎりの瞬間まで堪えることにした。その時、警笛がなり列車ががたんと動き出した。この間の時間は20分位であったと思うが、一時間以上経過したように感じた。まさしくお腹のなかの液体の圧力との死闘であった。

トイレに急ぐ、あまり早く歩き、衝撃でお腹に力が入ると失敗する危険があり、遅いと他の人に占領される心配がある。無事ドアの前に辿り着いた、幸運にも空いていた。
我慢を重ねていた大量の滝のような下痢を無事に済ませると、ほっとして、体中の力が抜け、一瞬失神しそうになった。トイレの窓枠に掴ってやっと立ち上がった。
寝台に戻り、横になり休む、飲み物も控えているが、一時間おき位にお腹が苦しくなる。トイレに行き、しゅうっと水のようなものを噴出すると楽になった。

夜が明けて、朝食の時間となり食堂車に行く、添乗員にお腹を壊していることを告げて、おかゆの上澄み液(重湯)とウーロン茶だけで済ませた。脱水症に成りかけていたので、飲み物が美味しい。
北京に着き、北京観光が始まった。添乗員は常に私の体調に注意してくれた。公衆トイレが近づくと、私のほうを向くので、困った時に、目配せすると、臨時のトイレ休憩を短時間取ってくれた。
添乗員は食中毒の発生にとても神経を使っている。お腹を壊した客に対して責任を感じ、非常に親切にしてくれた。ホットドックに生レタスを入れないよう事前にリクエストしなかった添乗員の責任であると、詫びた。(当時の中国では、熱を加えない野菜を絶対に使用しないように事前に要求していたとのこと)しかし20人ほどのパーティで、酷くお腹を壊したのは私だけであった。2人の男性が時々私と一緒に臨時のトイレ休憩を利用していたので軽い下痢症を発症していたのであろう。

昼食もウーロン茶だけで済ませて、午後の観光に備えた。北京市内はトイレが多くあり、必要な時に使用できたが、公衆トイレのない郊外やサービススエリアの少ない高速道路で
あったらどんなに苦しんだことかと思い、慄然とした。
夕食は羊肉のしゃぶしゃぶであった。怖々半分ぐらいを食べて、ホテルに宿泊した。
夜中に度々お腹の不調で目覚めたが、朝方にようやく落ち着き、朝食のおかゆを口に出来た。

原因はたった一枚の生レタスである。中国料理はすべて熱を通す。野菜も熱を通す前提で処理されていたのであろう。レタスに病原菌がついていたのか、洗浄した水に問題があったか、解らないが、食中毒に弱い私ひとりが酷くやられてしまったのである。

(注記)
山歩きが好きな私の悩みは、日程の最後の頃に、水が合わないのか、不衛生なものを口にしてしまうためか、しばしば、激しい下痢に襲わることである。
山道には公衆トイレが少ないので、「Nature calls me.」と同僚に告げて、茂みに隠れて、雉撃ちをせざるを得ない。激しい水様性の下痢の時は、水柱の跳ね返りのしぶきが、お尻、ズボン、靴を甚だしく汚してしまうので、厚手のビニール袋内に放出する。B4版の書籍が入るくらいの不透明の袋に収納して、公衆トイレで中身を流す。
この袋を持ち歩くのは気の重いことであるが、お腹の中に今まであったものと思えば、あまり気にならない。これが必要となるような激しい下痢の時は嫌な臭いもほとんどない。
旅行の時は不測の事態に備えて、不透明の厚手のビニール袋を必ず持参する。


   投稿者/G.P.S.  

07/05/09


  氷…新鮮

   ブラジル旅行者は水道水から感染する下痢症に悩ませることが極めて多い。現地の人は免疫力があり発病することは少ない。しかし彼らも水道水を直接は飲まない。
氷は別である。現地の人が行くレストランはかなり高級なところでも水道水で作った氷を出すので、要注意である。(日系人のレストランでは煮沸した水道水を使うようである)
水道水を口にしない、氷にも気をつける。ブラジルには仕事でたびたび出かけていたが、細心の注意でこの被害に遭わず、少し気の緩みがあった。
 夕食時に、レストランで、ビールと氷で冷やしたカクテルを注文した、カクテルは後で出ると思っていたが、一緒に出て来た。ビールを飲んでいる間に、カクテルの氷が溶けた。これを不注意にも飲んでしまった。
 
翌々日仕事中に、突然お腹の異常を感じてトイレに駆け込むと、強烈な下痢が始まった。1時間おきぐらいにトイレに通いながら仕事を仕上げて、ホテルに帰った。
夕食をやめてベッドに入るが止まらない。お腹の中には何もなくなっているのだが、2時間おきぐらいに、強烈なお腹の異常を感じて目覚め、トイレに入ると、しゅうっと水のようなものが激しくほとばしる。喉が強烈に渇くので、ミネラルウオータを目覚めるたびに飲む。下痢はとても激しいが、嘔吐はない、腹痛で苦しむこともない(腹痛の酷い場合もあるとのこと)。発熱は全くない。水道水から感染する下痢症の典型的な症状である。

翌朝は紅茶だけの朝食で仕事を始める、何も食べていないが、水のような下痢が続く。
頻繁に強烈なお腹の異常が襲ってくる、仕事が忙しいので、無理に堪えているとお尻がじわっと濡れてきて、ひと時の猶予もなくなる。会議中も度々抜け出さざるを得ない。
異常を感じたら、すぐに個室に入れるよう私専用を決めてもらい、使用禁止の張り紙をする。酷く汚しても他人に迷惑を掛けないし(退社のとき掃除人へのチップを残す)、他人へ感染させる危険も避けられる。
喉が渇きミネラルウオータを飲んでいると社長秘書がお腹に良いからと、マテ茶を沢山作って呉れた。ミネラルウオータより美味しい、しかし飲むとすぐ出る、出ると喉が渇く、悪循環が続いた。
あまり度々トイレに通うので、同僚たちが心配して、仕事をやめて病院へ行けと言う。
しかしプロポーザルの提出期限が数日後に迫っている。休むことはできない。病院に行けば、伝染病の疑いで、隔離病棟に収容される危険がある。仕事を続けるため、持参の薬を用いて、自分で治すほかない。かなり酷い下痢症を、医者に掛からず治した経験があるので、プロポーザルが出来るまで何とか頑張ってみようと、覚悟を決めた。

あまりに激しく下痢が続いたので、出口の粘膜が高速で通過する液体に傷つけられ、出血して痛みがひどく、ホテルまで歩くのが辛い、10分ほどの道のりがとても長く感じられた。

昼は紅茶だけで済ましたが、もう体力の限界で、夕食を抜くことはできない。現地の人が「レヤーのヒレステーキとパパイヤとじゃがいもを食べれば、かなりひどい時でも消化できる」と教えてくれた。夕食に試みる。下痢は止まらないが、食べたものはなんとか消化吸収できているようで、働く力が出てきた。

翌日、現地経験の長い日本人社員がブラジルの水道水で感染する下痢症の特効薬を呉れた、この薬はかなり効果があり、下痢の頻度が軽くなったが、容易に止まらない。
 
 翌朝も同じオーダーで済ませる。昼は紅茶で我慢し、夕食も昨夜と同じメニューにした。お腹が空くようになってきたので美味しく食べる。下痢は止まらないが、食べた物はほぼ消化して、大量の液体に溶けたような形で、姿を現す。

 5日間毎日、同じような食事を続けて、下痢と悪戦苦闘しながら、プロポーザルを完成させて、提出した。ほっとしたためか、特効薬が効き出したのかようやく下痢が止まった。
ホテルで体重計を借りて量ると5Kg痩せた。体力と気力の限界での闘いであった。


   投稿者/G.P.S.  

07/05/03


  韓国料理…新鮮

   30数年前、韓国で技術輸出の打ち合わせの最終日、送別会で韓国料理をご馳走になった。
翌早朝、強烈なお腹の不快感で目覚め、洪水のような激しい下痢で、お腹の中のものが何も無くなったように感じた。しかし、水様性の下痢が激しく数回続いた。
(赤痢の潜伏期間から考えると、数日前の食事が原因であったかもしれない)
飛行機の中での不具合は困るので、紅茶一杯で朝食を済ませ、以後何も口にせず、金浦空港から羽田に無事着いた。何とか我慢していた用を空港で無事済ませて、タクシーで会社に着いた。同行した社員は終始私と同じ食事をしたが、何事も無いと言う。

急ぎの報告を済ませ、昼食はかけうどんで我慢し、仕事を始めると発熱と強い腹痛でトイレに急ぐ、先ほどまでの激しい水様性の下痢とは打って変わって気持ちの悪い渋り腹、しかし腹痛と発熱は軽快した。
仕事を続けると、30分くらいして、再び発熱、激しい腹痛、これを数回繰り返す。
トイレでは少量の粘液性便が搾り出されるが、何か残っている感じで、さらにお腹に力を入れると異様な音がして、お尻が少し濡れるだけ、とても気持ちが悪い。
赤痢かと思いよく観察するが、肉眼では血便の兆候は見られない。

これはただの食中毒では無いと思い、急ぎの仕事だけを片付けて帰宅し、掛りつけの医院に直行した。
状況を説明すると、医師は「いつものお腹壊しとは違う、伝染力の強い下痢症の危険性が高いと思います。幸い特効薬があります。すぐ6時間おきに確実に4日間飲んでください。他人、特に家族へ感染させないことが大切です。これから説明する感染防止策を確実に励行して下さい。ただし2日たっても症状が解消しなければ、大きな病院へすぐに入院していただきます。症状が解消しても、他人への感染を防ぐため特効薬の服用を4日間続け、外出を出来るだけ控えてください。」と言われ帰宅し、特効薬(抗生剤)服用し、指示された厳重な感染防止策を確実に励行した。

服薬3回目から症状が軽くなり、翌日の日曜日午後にはほぼ完全に回復した。

医師は赤痢と言わなかったが、それから約30年後、大腸の精密検査をした内視鏡医師から「特別な病変は無いが、赤痢の傷跡があります。」と指摘された。やはり赤痢だったのだと納得し、上手に治療してくれた当時のかかり付け医師に改めて、心から感謝した。

彼は米国で研修した医師で、出来るだけ抗生剤を使用しないなど、日本の医師とはかなり異なる治療法を実行していた。
彼は上下水道が不備で、抗生剤の無い古い時代の遺物ともいえる当時の伝染病予防対策の実態に疑問を持っており、特効薬が有効であり、感染の拡大が確実に阻止できる現在は、患者の生活を長期間拘束する隔離病棟への収容は必要ないと考えて、在宅で適切な処置をしてくれたのである。
彼から指示された厳しい他人と家族への感染防止の対策は2007.4.14 特別投稿「赤貝・牡蠣」にノロウイルス感染対策として記載してあるので参考にしてください。


   投稿者/G.P.S.  

07/05/01


  冷麺・焼肉…新鮮

   昨年のノロウイルス胃腸炎に続き、今年は、米のとぎ汁のような白色に近い水様便が特徴と言われているロタウイルス胃腸炎にアタックされた。この病気は乳幼児がよく罹るもので成人が罹患することは殆ど無いと言われている。
 発症時の症状はノロウイルス胃腸炎によく似ている。
 2日前ぐらいからお腹の軽い痛みと不快感があった。朝食後急なお腹の異常を感じて、トイレに急ぐと激しい下痢が始まった。30分おきぐらいに激しく続き、徐々に色が薄くなり、米のとぎ汁に少し色をつけたような水瀉便が激しくほとばしる。
お腹の軽い痛みと不快感は下痢を済ませると解消するが、急激なアッタクで、一刻の猶予もならない。伝染力の強いウイルスと聞いていたので、最悪の失敗を避けるため、早めにトイレに駆け込むが、パンツを下ろすのがやっとの緊急事態が続く。
激しい下痢の連続で、足元がふらつきトイレに駆け込むことが難しくなったので、ノロウイルス胃腸炎のときに用意したおむつを装着して、寝たままで処理することにした。
喉が渇き、脱水症が心配なので、スポーツ飲料と紅茶を欲しいだけ飲んだ。
絶食しているので、出るものは殆ど水分で、白色に近い混濁物が混入している。最初の2〜3回はおむつの吸水剤が吸水してくれるので、違和感は軽いが4〜5回以降は吸水層に水分が溢れて、冷たくなり我慢できず、トイレで取り替える。
朝から20回以上の下痢を繰り返して夜になった。うとうと寝入るが1時間も経たないうちに、お腹の軽い痛みと不快感で目覚める、お腹に少し力を入れると、激しく液体が漏れ出すのを感じるが、すぐ寝入ってしまう。数回繰り返して、濡れたお尻の不快感を我慢できなくなり、起きだして取り替える。10数回の下痢と3回のおむつの交換を繰り返すと、夜が明けた。
急激なアッタクが怖いので、特殊なパンツを着用して起きる。何とか頻回の激しい下痢から回復したようで、昼食を軽く摂る。食後に異常は無い。安心して、夕食も軽く摂る。
その夜はぐっすり眠り、翌朝早くに目覚めると、お腹の軽い痛みと不快感があるが、下痢を済ますと解消する。前日食べた物をよく消化できなかったようで、2〜3時間おきにお腹の軽い痛みと下痢を繰り返す。食事は消化のよいものを最低限度だけ摂る。
夜は疲れからよく眠り、早朝に目覚める。お腹の軽い痛みと下痢も解消した。
発症してから24時間で30回以上の激しい下痢を繰り返したが、意外に早く回復できた。
下痢止め、抗生剤は一切使わず、乳酸菌整腸剤を大量に服用した。

原因を特定することは難しいが、発症の3日前に横浜の韓国料理店で食べた冷麺と焼肉が怪しい。少し火の通りの悪い状態の焼肉を口にしたような記憶もある。
店の店長に電話して、同じような症状の届出がなかったか問い合わせる。現在まではないと答えたが、心配らしく度々症状を尋ねる電話があった。回復してからの問い合わせに回復したと伝えると、本当に安心したような口ぶりで、お祝いを伝えてくれた。


   投稿者/G.P.S.  

07/04/22


  水…新鮮

   5歳のときである、母の父が亡くなり、遺骨を祖父の実家の墓に納めるため、母に連れられて、福島県西白河郡三上村へ行った。山間の高台に建つ醤油醸造業の家は、山からの湧き水の豊富な池と美しい庭を持っていた。山肌からこんこんと湧き出す泉の水が、都会育ちの私にはとても珍しく、美味しかった。

納骨式と親戚を集めた法事が終了した翌日の早朝、強烈なお腹の異常を感じて目覚め、寝室から30m位離れた厠に向かった。激しい下痢に驚いて、眠っていた母を起こした。
その直後にまた急な異常を感じて厠へ急ぐが、入り口の直前で堪えきれなくなり、立ち往生し、下駄の鼻緒まで濡らす大失敗をしてしまう。その場で立ちすくみ、泣いていると母が来て、あまりにひどい下痢に驚く。体を洗ってもらい床に就いてすぐに、再び厠へ急ぐが、また間に合わなかった。激しい水様性の下痢であったが、発熱、腹痛の記憶は無い。
母は携帯便器を借りて、寝床の横においてくれた。今度は間に合ったが、激しい水瀉便のお返しがまわり中に飛び散った。母は急いで新聞紙をまわりに敷き詰めた。
激しい下痢が続き、何も食べずに寝ていた。喉が渇き水を飲むとすぐに下痢をするので、飲水を制限された。喉の渇きはとても辛い、少しずつ飲むことを条件に許してもらった。

2日目も絶食を続ける。ぐったりして起きられなくなる。夕刻には、立ち上がれなくなり、母に抱えてもらい用を済ました。

3日目の朝、うつらうつらしていると、枕元で当家の主人と母が小声で話していた。
当家の主人が「このままでは助かるまい、馬に乗せて隣町の医者へ連れて行かねばならないが、この状態では途中で駄目になるかもしれない。」と言うと、傍にいた大伯母が私の顔をじっと観て、母に「薄い重湯を塩味で飲ませてみな」と言った。母はすぐ重湯を作り、飲ませてくれた。2日間何も食べず、飲み物も制限されていたので、脱水状態と栄養不足になっていたのであろう。とても美味しく飲んで、ゆっくりと生気を取り戻した。大伯母は脱水症の治療法を、経験的に知っていたのである、命の恩人である。

激しい下痢も徐々に穏やかになった。母は私の手を握り締めて、「東京に帰れる」と言って大粒の嬉し涙を流した。このときには、原因は分からなかったが、今考えると泉の水中の病原性原虫クリプトスポリジウムが原因であったと推定される。
【注】クリプトスポリジウム:病原性の原虫で泉などに生息し、激しい下痢の原因となる。


   投稿者/G.P.S.  

07/04/14


  赤貝、牡蠣…新鮮

   重症のノロウイルス感染症の症状は激しく、コレラと似ている。下痢の激しさと頻度もコレラ並みである。十二指腸で増殖したウイルスが十二指腸の表皮細胞を破壊し、小腸で増殖したウイルスが小腸の繊毛に作用して、コレラの毒素コレラトキシンと同じように、体液を滲出させるためと言われている。(前者は嘔吐の後者は下痢の主な原因となる)
ただし回復は早く、2〜3日で軽快する。体重の減少は3Kg位であるが、頻回の激しい下痢のため脱水症状になりやすい。嘔吐が激しい症例もある。(私は嘔吐の経験が無い)

海水中のノロウイルスを取り込んだ2枚貝(特に生牡蠣)を、加熱不十分な状態で摂取することが原因である。この患者の吐瀉物・排泄物を介して伝染することにより感染が急速に拡大する。患者の吐瀉物・排泄物の消毒処理が不十分であると、乾燥したウイルスが1〜2週間生存していて、接触感染と空気中への飛散による感染の原因になると言われている。(塩素系の洗剤による消毒処理が有効で、アルコールは無効である)
 
最初に罹患したのは、30数年前ハンガリーへの技術輸出ネゴ出張の飛行機の中である。夜行便で、夕食を済ませ、ゆっくり眠って、コペンハーゲンに近づき目を覚ますと、異様なお腹の張りを感じて、トイレに急いだ。腰を下ろすやいなや、鉄砲水のような激しい下痢をする、席に戻り持参の薬を飲む。しばらくすると再びお腹が張り、先ほど利用した個室に急ぐ、ドアに使用禁止の張り紙。
隣の個室に入ると今度は泥流のような水様便がほとばしる。乗り継ぐためコペンハーゲンで飛行機を降り、夕刻のブタペスト行きのSAS便を待つので、ホテルで半日休憩した。

ホテルに着くと、レストランに朝食が用意されている、次の2時間あまりのフライトと入国審査待ちでの下痢を心配し、紅茶以外は口にしないつもり、しかし強烈に喉が乾いて牛乳を一杯飲んでしまう。酪農国の牛乳は旨い。もう一杯飲みたいのを我慢して、部屋に戻り、ベッドで横になる。しばらくすると、強烈にお腹が張って、トイレに入ると、滝のように激しく、ほとばしる。立ち上がりかけると自然にお腹に力が入り、水のようなものが再び流れ出す。意識も少し薄らぎ、立ち上がるのが怖い。しばらく腰を下ろし、断続的に下痢を繰り返す。30分くらいで、ようやく治まり、ベッドに入り熟眠する。

夢の中で激しいお腹の異常を感じ、トイレに行くが満室である。ここで目覚め、トイレに急ぐ、浴室に足を踏み入れた瞬間、濡れていた床に足を取られて、倒れそうになり、体勢を立て直そうとしたら、無意識にお腹に力が入り、多量の水様便が一瀉千里に漏れ出し、パンツと浴室の床をびしょ濡れにしてしまった。

シャワーで体と床を洗い、ベッドに戻る。恥ずかしい、しかし夢の中の失禁でなくてよかった。もしベッドの中であったら、もっと恥ずかしい思いと、高額の賠償をしなければならなかった。ビニール風呂敷の上に浴用タオルを敷き、横になる。失敗しないよう、眠らず、頻繁にトイレ通いを続ける。水様便の量は少なくなり、細い筋状に噴出す。

水も食べ物も口にしないので、夕刻近くに、下痢が止まった。乗り継ぎ時刻が近づき飛行場へ行く。搭乗すると軽食が配られた、紅茶を一杯口にしたのみで、我慢する。

猛烈な喉の渇きを我慢して、目的地ブタペストに到着し、入国審査の列に並んでいると、体の芯から熱が湧き出すように感じて、体温がどんどん高くなってくる。顔と頭が異様に暑いが汗はまったく出ない。口の中が乾いて、喋ることが辛くなる。続いて足元がふらつき、意識も時々薄れてくる。典型的な脱水症状である。大型アタッシュケースの上に座り込んで何とか持ちこたえ、入国審査を通過して、出迎えの車でホテルに着いた。

部屋に入るなり、紅茶のルームサービスを依頼して、喉を潤した。立て続けに数杯の紅茶を飲み干すと、口の中の乾き、発熱とふらつきは解消したが、再び激しい下痢に襲われる。絶食して、ベッドに入るがたびたびのアタックとこの健康状態では「明日の会議に出席できるか」と不安になり、ほとんど熟睡できず、朝を迎えた。

第一日目は半日の予定であるが、打ち合わせ先の幹部が出席する基本的な会合のため、中座は絶対に避けねばならない。持参の止痢薬を服用し続けるが、3時間の激務を無事乗り切れるか心配である。

朝食は紅茶を数杯飲んだのみで、迎えの車で打ち合わせ先に向かった。異常な憔悴状態に気づいた迎えの人に尋ねられて、体調の異常を白状した。午前中の打ち合わせが終了したら、すぐ病院へ行くように勧められる。しかし診察を受ければ、あまりにひどい下痢であるから、コレラの疑いで入院させられ、以後の打ち合わせが不可能になると心配して、病院受診を断る。(東京でコレラの集団発生があり、海外にも広く報道されていた。)

午前9時に開始された基本的な打ち合わせは厳しい議論となり、衰弱した体に過酷な負担であったが、異状に緊張していたためか、止痢薬の効果か、お腹の不調で中座することなく無事終了した。
緊張が解けると途端に強烈にお腹の異常を感じて、トイレに駆け込む、滝のような水様便が多量にほとばしる。無意識で我慢していたものが一挙に解消されて、なんとも表現できない爽快感と安堵感でしばらく腰を下し続ける。

ウエルカムランチの招待を頂いたが、体調不良を理由に辞退し、すぐホテルへ送り返してもらった。
昼食は紅茶とわずかのパンで済まして、部屋のベッドで静養した。
止痢薬の服用で、頻度は低下したが、激しいアタックは解消しない。
夕食を絶食にしたいが、翌日の厳しい打ち合わせを続けるために、最低限の栄養補給が必要である。ルームサービスで、白身の魚のムニエルとコンソメスープをオーダーする。
ベッドに入る頃から下痢が少し穏やかになり、夜中に数回目覚めたのみで、熟眠できた。

翌朝はパンと紅茶の朝食を摂り、打ち合わせに臨んだ。
重要な会議なので、断続的に襲ってくるお腹の異常な圧力に耐えながら、中座せずに、打ち合わせを続け、コーヒーブレークごとにトイレに急いだ。

止痢薬の作用で腸の蠕動運動が抑制されて、消化不十分な腸内容物が大腸に滞留し、異常発酵で発生したガスのためお腹がものすごく張る。ベルトを緩めると、ズボンの腹囲いっぱいにお腹が膨らみ、お腹が破裂しそうに苦しくなる。

昼食は会議の主要メンバーで、社内の役員食堂で摂る。ポタージュスープ、サラダと
鶏肉料理である。午後の打ち合わせでの下痢が怖いが、美味しいので半分くらいを頂く。

 午後の打ち合わせは順調に進むが、お腹の異常な圧力がひどくなり、堪えるのが苦しい。コーヒーブレークを待ちかねて、トイレに駆け込み、異様な音を伴うシャワーのような下痢を済ませると楽になる。
 長い一日の打ち合わせを無事に終わり、車でホテルに送っていただく。

 お腹に優しい夕食のルームサービスのメニューが無い、ホテルのレストラン行き、コンソメスープ、ポテト料理とレアーのヒレステーキを摂る。ハンガリーに来たので、パプリカの効いたハンガリアングラッシュを食べたいが、当分お預けである。
 
 体力の消耗と会議中の緊張で、ぐったりして、ベッドに入り、すぐ眠りに就く。夜中に目覚めトイレに行くと、水のようなものに代わって、ゆるい泥状になった。
昼に怖々食べた鶏肉料理は何とか消化できたようで、ほっとする。
 朝目覚めても、下痢が続くが回復の兆しがはっきりしてきた。

3日間の厳しい交渉を無事終えると、ストレスが減り、お腹の不調も次第に回復した。
 5日目からはほぼ正常に戻り、会議を続け、合間に工場見学などを済ませた。ハンガリアングラッシュも十分に楽しみ、予定どおり、元気に帰国した。(症状は激しかったが、後遺症は少しも無かった)

原因は出発前夜の夕食の赤貝であろう。当時のハンガリーには日本料理店が無く、生ものを口にできなくなるので、刺身の夕食を楽しんだ。魚の刺身は購入したブロックをよく洗ってから、妻が衛生に注意して造るので、当たった経験は無い。赤貝だけが少し洗浄不良であったと推定される。しかし一緒に食べた家族には何事も無かった。
 
2回目の罹患は昨年の初めである。朝食後急にお腹の異常を感じて、トイレに急ぐと、土石流のような激しい下痢である。部屋に戻るとすぐに再び異常を感じ、その後も30分おき位に激しく続き、昼前には朝食で口にしたものが噛み砕かれた形で、消化された形跡の無いまま、水様便に混じって水柱のようにほとばしる。熱を測ると38度あるが、腹痛や吐き気はない。
 絶食し、脱水症を防ぐため、用を済ますたび、紅茶、スポーツ飲料を飲む。

夜ベッドに入り、就寝するが、90分くらいおきに急激にお腹が張って目覚め、トイレに急ぎ、あわてて腰を下ろすやいなや、水様便が滝のように激しくほとばしる。発症時からの下痢の回数は30回を越えた。
 
朝になり目覚めても、起き上がる元気が無く、ベッドとトイレの間を頻繁に往復する。
急激、強烈なアタックで、お腹の異常を少しでも感じたら、直行しないと間に合わない。
よろけながら、駆け込む姿を見かねて、妻がハイテク吸水材入りのおむつを求めてきて、「年だから無理しないで、寝たままで!」と言う。成人になってから初めての経験、恥ずかしいが、最悪の事態を避けるため、自分でおむつを当てて、横になる。

水分以外口にしないので、出るものはほとんど液状であるから、ハイテク吸水材がかなり良く吸収してくれ、不快感は意外に少ない。数回経過すると、ハイテク吸水材も、多量の水分を吸収しきれず、びっしょりと濡れてくる。冷たくなり我慢できないので、取り替える。3回取替えると、夜になった。 

夜は、前夜熟眠していないので深く眠り、半分眠ったままで済ませてしまう。数回繰り返すと、目が覚めて、取り替えた。ベッドに戻り、しばらく熟眠する、翌朝気持ちよく目覚め、お腹に力を入れるが、何も起こらない、下痢がすっきりと止まった。

あまりに激しい下痢のため、外出できず、医者にも行かず、乳酸菌製剤以外の薬を服用しなかったが、意外にも速やかにすっきりと回復した。

前回は飛行機の中での発症なので、止痢薬を服用したが即効性は無かった。会議が続くため、止痢薬を服用し続けると、下痢の頻度は穏やかになったが、腸内の異常発酵で苦しんだ。今回は乳酸菌製剤以外を服用せず、自然治癒に任せたが、2日で完全に治癒した。
原因は前々夜の牡蠣鍋である、妻は私の弱いお腹を考えて、牡蠣鍋でも生食用の牡蠣を使っていた。このときは生食用のよいものが無く、加熱用を使用した。そのことは聞いていたが、うっかり生食用の時と同じような加熱状態で食べた。

ノロウイルスには多くの変種があり、流行するウイルスの形態が変化するため、免疫力の獲得はあまり期待できない。
免疫力の強い人は感染しても、発病しないか、軽症で経過する。

上記の2回の経験とたびたび罹患した消化器官感染症の経験からノロウイルスなどのウイルス性消化器官感染症の治療法に対して、医学の素人であるが、下記のとおり提言する。

(1)下痢止め薬は中座の許されない重大会議出席の前、飛行機に乗る時などの止むを得ない場合しか使用しないこと。下痢は腸管内の細菌、ウイルスなどを速やかに排出するための重要な生体反応である。無理に止めると細菌、ウイルスが腸内で増殖して、強烈な腹痛、嘔吐に見舞われ、回復までの期間も長くなる。

(2)抗生剤は細菌感染が原因であることが明確なとき以外は使用しない。抗生剤はウイルスによる下痢症に効果がなく、腸内の細菌のバランスを崩し、下痢症を悪化させ、長期化させることがしばしばある。この対策として、乳酸菌製剤を多量に服用する。(医者は細菌による感染症を恐れて抗生剤を処方してくれるが、食事などでの細菌感染が自覚される場合を除いて、服用しないほうが安全である。)ただし3日以上症状が改善されない時は、細菌感染症の危険が高いので、抗生剤を服用すべきと考える。
 
(3)下痢症の時に水分を多く摂ると一時的に下痢が激しくなるが、必要なミネラルを含んだ水分(薬局で販売しているが、手軽なものとしてはスポーツ飲料を倍ぐらいに薄めたもの)を積極的に摂ることで、脱水症を防ぎ、腸管内の有害な細菌、ウイルスおよび毒素などを速やかに排泄し、回復を促進するする効果があると信じて実行している。ただし、腸内細菌のバランスのため、水分と一緒に乳酸菌製剤を多量に服用する。
以上

注記−1
私は消化器官の免疫力が弱いため、たびたび感染症によるお腹の病に悩まされましたが、体調の悪い時にも働き続けるための独自の対策を考案し、懸命の努力と辛い体調不良に耐えて、在職41年の間、一日もお腹の不調だけで仕事を休むことはありませんでした。
技術者生活の後半の10数年間は、技術輸出、海外工場計画を担当しましたので、発展途上国への出張の機会が多く、たびたび、消化器官感染症に悩まされました。
ひどい症状の時でも、仕事のスケジュールがタイトなため、医師の診療を受けることはできませんでした。上記のような自己流の治療法で、何とか治療して、仕事を続けました。
(細菌感染が原因であることが明確なときに使用する抗生剤などの薬品は、掛かり付けの医師に処方してもらい常に携行し、必要な時には服用しました)

消化器官感染症の発病を防ぐのには、自然免疫系の働きが確りしていることが、重要であり、免疫機構が強いことはよいことと理解し、頻繁にお腹を壊すのは免疫機構の働きが弱いことが原因であると悲観していました。

私は免疫機構の働きが強くないため、感染症によるお腹の病に悩まされましたが、血管系の病気とは縁が薄く、喜寿まで生存できたようです。この喜びを記念して、辛い体験をした消化器官感染症との闘いを「消化器官感染症闘病記【弱いお腹と丈夫な血管の物語】」に記録しました。上記はこの記録からノロウイルス感染症の部分を抜粋したものです。

付記 家族への感染防止策
30数年前に伝染力が強烈な消化器官感染症に罹患し、家庭で治療したときに、掛かり付けの医師から指示された家族への感染防止策は次の8ヵ条であります。
失禁の後始末が最も危険である、失禁しないように早めに済ませる。
トイレの水洗レバー、ドアのノブは用便後の処理をした手と反対の手で操作する。
用を済ませたら消毒石鹸で入念に手を洗う。
下着は汚れていなくとも熱湯消毒または漂白剤で塩素消毒する。
もし下着を汚した時は漂白剤をかけて、2重にビニール袋に入れて焼却処分する。
風呂の湯船には入らない、もし入る時は最後に入り、出た直後に排水する。
使用した食器は熱湯消毒する。
病室は患者一人とし、患者以外はできるだけ立ち入らない。

その後たびたび消化器官感染症に罹患しましたが、この指示を忠実に護り、家族に感染させたことは一度もありません。

ノロウイルスは症状が解消しても、ウイルスが一週間ぐらいは排泄されていますので、家族への感染防止の注意が大切です。
免疫力の強い人はノロウイルスに感染し、発病しても症状が軽く済みますが、ウイルスを排出していますので、家族への感染防止の注意が必要です。

   投稿者/G.P.S.  

07/02/12


  マンゴーシャーベット…新鮮

   10数年前の退職直後、シンガポール、タイを観光して夜行便で早朝帰宅した日の朝食後、激しい腸内の異常な動きを感じて、トイレに急ぐと、土石流のように多量の下痢をする。
発症時には、海外旅行でよく経験した、腸炎ビブリオの下痢症と考えていた。しかし、経験したことの無い、長く続く激しい下痢症状、急激な体重の減少、コレラに特有と言われる顔の窶れから5日目には、コレラを真剣に疑うようになった。
旅行中は、飲み物、食べ物にずいぶん注意し、生水、生ものなど絶対に口にしなかった。最後の行程で古都アユタヤに行き、メコン川を船で下り、バンコックに戻ってきた。
船の甲板は暑く、喉が渇いた、その時マンゴーのシャーベットが配られた、果物で作ったものなので、安全と思い食べた、素晴らしく旨い、お代わりをした。思い当たる食中毒の原因はこれしかない。妻は同じものを一杯だけ食べたがなんともない。

1日目、朝の土石流のような多量の下痢の後、しばらくすると、空になったお腹の中に水が湧き出して、激しく動き回るように感じ、トイレに急ぐ。カレールーのような液体に未消化の固形物が混じった激しい下痢をするが、腹痛、吐き気、発熱は無い。
夜行便の疲れでしばらく仮眠する。強烈な腸内の異常な動きを感じて目覚め、トイレに駆け込み、滝のような激しい下痢をする。その後1時間位ごとに、激しく下痢が続く。
褐色の粘り気のあった液体の色が薄くなり、サラサラな水瀉便になって、水柱のように激しくほとばしる。喉が異常に渇き、用を済ますたびに、紅茶、スポーツ飲料を飲む。水分を多量に取るが、小水は僅かしか出ない。

2日目、絶食を続けるが、症状が激しくなる。お腹の圧力を堪えることができない。無理に堪えていると、肛門の周りが急に濡れてきて、あわててトイレに駆け込むと、水瀉便が激しい勢いで噴き出す。掛かり付け医師に診て貰いたいが、この状態では、外出できない。
救急車を呼べば、伝染病を疑われて、有無を言わせず、隔離病棟に送りこまれると思い、少し軽快したら、掛かり付けの医院に行こうと考えて、ベッドで静かに休む。
腸炎ビブリオの場合には、2日目には快方に向うが、今回は少しも治まる気配が無い。夕刻になっても医院へ行くことができない。ベッドとトイレの間を日に20回以上往復する。
症状が厳しいので、伝染性の病気を疑い、感染防止ため、寝室横のトイレを私の専用にする。入浴を控え、シャワーにする。下着はすべて塩素系殺菌剤で消毒する。

3日目、水分しか口にしないが、症状はさらに激しくなる。薄黄色で半透明の水瀉便が30〜40分ごとに激しくほとばしる。経験したことのない激しい症状なので、家庭医学書を見る。コレラの症状に似ている。インターネットでコレラの症状を調べる。この結果、大変なことかもしれないと、不吉な胸騒ぎがする。
最近流行しているエルトールコレラでは、十分に水分補給すれば、死亡率は数%程度とのこと。特効薬はなく、抗生剤の効果も初期に使えば下痢の期間を少し短縮する程度とのこと。他者への感染の防止が大切であるが、赤痢のときに習得したので、自信がある。
幸い、嘔吐はないので、経口で水分補給できると考え、少し落ち着くまで、自宅治療を決心する。海外出張の時、重い下痢症を働きながら、自分で治した経験と自信があった。
発症以来の絶食と昼夜の別なく続く激しい下痢のため体重が急激に減少し、体力が急速に衰えて、強い危機感を覚える。水瀉便の猛烈な下痢以外に腹痛、発熱などの症状は無い。
コレラが怖くなり、掛かり付け医師に診て貰いたいが、医院へ行く体力が無くなった。
ふらつく体で、頻繁に、急いで、トイレへ通うのはとても大変である。寝たままで用が足せる専用ベッドがコレラ病棟にあるとインターネットで見た。羨ましい、使いたい。
苦境を見かねた妻から、差し込み便器かおむつの使用を勧められたが、事後に処理する者への感染防止のため、辛いけれども、トイレに通いを続ける。
 
4日目には、体力が著しく低下して、頻繁なトイレ通いに耐えられなくなり、水分の摂取量を控える。水瀉便の量は減少するが、頻度はあまり変わらない。体液が搾り出されるのか、お腹に少し力を入れると薄黄色の少し濁った液体が、細い筋のように噴き出す。
経験のある下痢症ではこの程度の水分摂取制限をすると、下痢の頻度が緩和したが、今回はあまり変化しない。喉が渇き、脱水症が怖いので水分の摂取をそろりと再開する。
「コレラの毒素コレラトキシンの作用で、筋肉細胞内外の体液が、小腸の繊毛から大量に滲出させられるため、筋肉が急速にやせて、皮膚の張りが無くなる」と医学書にある。
鏡で顔を見ると、窶れて、目が落ち窪み、頬がこけているのに驚く。医学書には「コレ
ラ患者特有の顔の窶れをコレラ顔と言う」と記載されている。
「体重の15〜20%相当の体液を失うと血圧低下、多臓器不全を起こし、生命の危険に至ることがある」とも医学書に書かれている。

5日目、夕刻に体重を量る。発症前の67Kgが57Kgになった。10Kg(15%)減少し、体液の25%位が搾り出されたことになる。生命の危険域に踏み込んでしまったらしい。
水分の摂取量を控えているからか、下痢の頻度が少し穏やかになり、量も少なくなる。快方に向いているのか、脱水症状が出てきたのか判断に苦しむ。今までに経験した症状とは質的に違うので、明日になっても回復の兆候が無ければ、救急車で入院の決心をする。

6日目の朝から、下痢の回数と量が徐々に減少し、噴き出す勢いも穏やかになった。
心配した脱水症状の兆候は無い。怖々、ヨーグルトとすりおろした林檎を少し口にした。
自力で回復できる望みが見えてきたので、入院を先送りする。

7日目の昼から、症状が更に穏やかになり、ものを食べる意欲が出てきた。1週間ぶりに林檎と紅茶で軟らかくしたパンを口にする。林檎が旨い。

8日目の朝、昨日口にしたものが消化された姿で、回復の兆を告げてくれた。
「死の淵?からの生還」の喜びを妻とともに満喫する。

体調の回復に合わせて、ゆっくりと食事を平常に戻すと、体重は5Kgだけ徐々に回復した。しかし残りの5Kgは容易に回復しない。完全に回復したのは3年後である。

発症時には、腹痛、嘔吐、発熱が少しも無いため、苦しさを感じなかった。急激、強烈で頻回のアタックは辛いが、激しくほとばしる下痢を無事済ませると、すっきりし、爽やかな感じさえあった。このために、いつものお腹の病気が少し重症化したものと判断して、掛かり付け医師の治療を受けることに拘り、発病初期の対応に失敗したのである。

早期に入院して、抗菌剤などの適切な薬物を服用し、点滴を受けていれば、経過は軽く、回復後に長く続いた後遺症に悩まされなかったと反省している。

体液の25%(10Kg)が搾り出された7日間にわたる150回以上の激烈な下痢が、体に与えたダメージは、ほかの下痢症のダメージとは本質的に異なる厳しいものであった。
喉が乾き、3,000ml以上の飲料を毎日飲んだ(脱水症が怖いので、用を済ますたびに180ml位の水分を紅茶、スポーツ飲料で摂取するよう心掛けた)ので、下痢の総量は20,000ml(20Kg)を超えたであろう。排泄されたミネラルの不足(特にカリウム)が体に与えたダメージが大きかったようである。(入院していれば、点滴で適切に補給されたであろう。)
搾り出された筋肉細胞内の体液を元に戻すのに3年を要し、その間後遺症に悩まされた。

回復後まもなく右手が痺れる、首を回すと激しく痛むことに悩まされ始めた。整形外科を受診すると、頚椎から右腕に出ている神経が圧迫されている、何らかの原因で椎間板の厚みが減少したのであろうとの診断である。椎間板内の体液減少が原因と自分で納得した。
頚部の加温と牽引を3年間続けた。体重が完全に回復するとともに痛みも自然に解消した。

医師に診てもらうことなく、細菌検査も受けていないので、コレラと断定できないが、家庭医学書に記述されているエルトールコレラの症状に限りなく近いものであった。
ただし、水瀉便の色は重症コレラに特有と言われているミルク色にはならなかった。


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